上手な演奏は心に響かない・・・。 何故だろう・・・。 それでは下手なら心に響くかと言うと、そうでもないのでややこしいのです。
つまり、完璧な演奏は聞く者に隙を与えません。 身じろぎもできないような、金縛りのような威圧感が漂います。
ですから上手なのです。 これは実社会ではチョット困ることにもなります。
例えば、箱・・・。 これは、どちらもいい加減だから成り立ちます。
完璧にぴったりだと、入らないし開かないですね。 微妙な隙間がどうしても必要なのです。 車のブレーキもそう・・・。 遊びを必ず作ります。
ブレーキに遊びが無いと、非常に危険な乗り物になります・・・。
じつは、
世の中の全ては、この一見無駄のような遊びで回っています。 歯車がぴったりでは動きません。 車もピストンがピッタリだと、動かないですね。
そしてもう一つ、歪です。 あったらいやだなと言うべき歪、それがないとやはり困るのです・・・。 アニメやロボット、多くのものは左右対称に作ります。
つまり、やるのは半分だけで、片方をそっくり手抜きして一つのものを作ります。 これが、あまりありがたくないのですね。
人間の顔一つとっても、歪みは普通にあります。 それが個人を識別する方法であり個性ですね。 世の中、同じように見えて自然のものは全て
違っています。 それだから、自然なのです。 以前の記事で、ピアノは完全な音を出さないと述べました。 わざと、そうしているとも聞きます。
これは演奏でも同様です。
つまり、上手な演奏は最初から拒否するようになっているのですね・・・。 ですから、感動ははなから生まれないのです。
限りなき不協和音・・・。 微妙な音の揺れ・・・。 不規則な音の揺らぎ・・・。 そんな僅かな差異が、心の扉を叩くような気がします。
絵葉書は良いと思うのは最初だけ。 美人は三日で飽きるとも・・・。 さもありなん。
そういう訳で、今日も不協和音を創造するのだ・・・。 ムムム、私の心の扉を叩くのは誰だ・・・?
えっ? うるさいっ? やっぱり・・・(>_<)。