江戸川区にも数十年住んでいて、
東京ディズニーランドは歩いても行けるほどの距離でした。
後に浦安市に引っ越ししましたが、やはり近かったですね。
遠い遠い昔。
私は、父の入院している大学病院に見舞いに行きました。
胆石と言う事で手術をしたのです。 その見舞いでした。
着くなり、母が小声で言いました。
「胆石じゃなかった、癌だった。 取れないって」 そう言いました。
癌と言うのは、父には話していないとのことでした。
間もなく主治医に私一人呼ばれ、術後の説明を受けました。
「黄疸が酷くて、このままだと2週間」 淡々と、そう言われました。
母が心配そうにどうだったのかと聞くので、黄疸が酷いと言われたとだけ言いました。
余命を言う事は、出来ませんでした。
病床の父は比較的元気で、「胆石は痛くってどうしようもない」と言いました。
ふと、父が言いました。
「ディズニーランドがオープンしたんだってな、治ったら皆で行こう」
父は旅行好ぎで、大阪万博にも行った位です。
とっさに「ああ、行こう」そう言ってしまいました。
大変喜んでいて、楽しみにしているようでした。
病名を言えないのは辛い。 治ると言えないのは更に辛い。
病床にいる父に真実を言えない、嘘つきの私がそこに居ました。
それから三カ月後、父は還らぬ人になりました。
「治ったら東京ディズニーランドに行く」、それは不幸息子の言う、
ただ一つの約束でした。
この約束は、生涯を掛けて守らなければいけない。
そう思いました。
東京ディズニーランドに行かないことが、
約束を守り続けることになると思っています。
毎夜のように鳴り響く東京ディズニーランドの花火の音も、
今は聞くことが出来ません。
気が付けば故郷に住み、墓を守る立場になっていました。
今年の墓参りには、
種から植えた白いグラジオラスと育てたミニ菊を供えました。