総理大臣がオリンピックの1年延期を発表。
英断だと思うが、政治的にはそうでもないらしい。
何でも、オリンピックが開催できないと、つまり1年後に収束できないと延期どころか中止
になってしまうかも知れないそうな。
それは致し方ないと言うのは庶民の考えで、オリンピック会長の森氏はどうやらえへてい
るらしい。 英断が政治生命になると、言うのだ。
ただ単に、ご自分の顔が立たないからじゃないのか。 そんなことでえへていても、世の
中は廻らんよ。 オリンピックより国民の命だからね。
オリンピックの成功が自民の政治生命だの、責任だの言ってる意味が全く理解できません
な。
政治というのは、わらしべのごときにありたい。 わらしじゃないよ、わらしべだよ。
真夏の開催でなければ、マラソンは東京でと都知事は希望とのこと。 さもありなん。
ある意味当然の要求だよね。
アスリートが危険で参加できないとか、えへまくって、札幌にした訳だから危険でないな
ら当然東京開催となる理屈。 まあそうすると、
今度は札幌の人たちがああだこうだと言うだろうね。 えへるよね。
昨日あたり、小池都知事が自粛を要請してからも上野や渋谷は人だかり。
企業や店舗は自粛に協力的なのだけど、若者は全くお話になりません。
危機意識がないと言うのではなく、話を聞かないのですこれは。
若い世代は、親の意見を聞きません。
これは事実であって、根底には敵対心と言うか競争心と言うか、
お前の言う事なんか聞くか知らねーよと言う反骨精神がそうさせるのです。
これは、大人になりかけの坊やの、必ず通る道なのです。
しかして、人の意見は無視して、聞いても聞けないふりをして街に繰り出します。
親より大事なのは、赤の他人の友達の一言なのです。
親は目障りだが、友達は無下にすると去って行ってしまう。
その怖さが、互いに共感を呼ぶのです群れから外されることを、極端に恐れます。
「親の意見となすびの花は千に一つも仇がない」
昔の人は良く言いました。
諺の通り、昔から若者や子供は親の意見を聞かなかったのです。
その結果失敗を繰り返し、大人になっていきます。
そして、大人になって初めて親の意見の正しかったことに気が付くのです。
多くの場合は、親の教えに気が付いた時には既に親が死んだ後なのです。
そうだったのかと、「親孝行したい時には親がなし」となるのです。
若者の価値観は、親の価値観とは全く異なります。
しかし、物の道理は世代を超えて変わることはありません。
えへるのは、間違いなく子供です。
若者がえへるのであれば、まだまだ子供の域を脱していないと言っても過言ではありませ
ん。
ましてやじじいがえへてはいけません。