長島茂雄が目標としたのは、ジョー・ディマジオ。
その夢を、松井秀喜に託した。
松井秀喜は長島同様サードのポジションを望んだが、長嶋に却下された。
理由は、
ジョー・ディマジオのポジションは外野手だったからだ。
松井はディマジオのようになると、長嶋は信じて疑わなかった。
松井は周囲の反対を押し切り、大リーグへと進む。
その大リーグは、ジョー・ディマジオが活躍した
ニュヨーク・ヤンキースだった。
長嶋はそれを知り笑顔を見せたと言う。
かくして、松井は6年間ヤンキースでプレーした。
ジョー・ディマジオは
モンローに一目ぼれし結婚するが、結婚は1年と持たなかった。
しかし、ジョー・ディマジオは心底モンローを愛しており
モンローの死後は終生独身で過ごした。
何時の時もモンローを気遣い、葬儀にはかつての夫の中でただ一人参列した。
がんを患ったジョー・ディマジオの最後の言葉は、
「死んだらモンローのところへ行ける」だった。
ジョー・ディマジオはモンローはケネディ一家に暗殺されたと信じて、
終生ケネディ一家に恨みを持ち続けた。
モンローが亡くなる数日前まで、二人は復縁をしようとしていたとされる。
また、モンローの死後20年間に渡り彼女の墓に週3度バラを送り続けたとも。
人を愛し続けることは、難しい。
ジョー・ディマジオは自身の野球の様に一途な人だった。
※ 出典はウイキペディア様より引用