なんだかんだ言うけど、、、、、。
    本当に東京写真の写真はどうなのか検証をして見ることにしました。
    なんのことはない自画自賛なのだ。
    
    とは言っても結構自分の作品は非常にシビアーな目でいつも見ているのです。
    それは時にカメラの厳しい画質のチェックだったりするのです。
    使用したレンズの良し悪しなども容赦なく鋭く追及するのです。
    
    
    対象は撮り溜めた数千枚の写真。いやいやそんなに写真ってあるものではありません。
    デジタルになったからといってそう写真って増えるものではありません。
    写真は適当に補正してTIFFで保存します。
    まあ気まぐれに1920サイズでPDFのスライドショーに保存します。
    これが結構気に入っているのです。
    
    スライドショーだから適当な間隔でどんどん勝手に進んでしまう。じつはこれが作品の評価には非常に
    都合が良いのです。あっと思った時には次のコマに行ってしまう余裕のなさが色々な発見を導きます。
    そういう歩留まりこそが作品の力なのです。
    
    多くの場合は
    カメラの描く精緻さに感心します。そしてレンズの収差や歪曲などというものはいかに意味のないものかと
    今更ながらに思い知らされることになります。
    
    カメラが写したいものは
    見つめている一点にあることが良くわかります。
    そしてフレームにあるものの自然さに驚嘆します。
    
    どうしてこのように自然に写真を撮る事ができるのだろうと
    人事のようにに思うのです。
    無駄を排するという、意味のないな行為を続けてきてはいなかったかと反省するのです。
    
    その作品は一見雑のようでありながら、全てが違和感なく自然に捉えられており、
    フレーミングとはこのようなものなのかと感じさせる力が満ちているのです。
    
    見終わって感じるのは
    どうして
    何気の風景をこのように写す事ができるのだろうという驚嘆です。
    確かに
    tokyoは優れた天才写真家だと見るほどに納得するのです。
    
    いやいや、
    違いました。
    
    写真を撮ったのはハコでした。
    tokyoは天才の能力を持って普遍の現場の遭遇した
    ただそれだけの
    
    記録代理人であっただけでした。
    
    なんか自画自賛のように(そうなのだけど)聞こえますが決してそうではありません。
    この写真を
    大きくして見て御覧なさい。
    
    
    なーんてね。